2007年03月22日(木)
日本の歴史を学んでいると必ずと言っていいほど出てくる「歴史の転換点」。中央集権政治を目指した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らが起こした「大化の改新」、平清盛と源頼朝が覇権を争った「源平合戦」、日本統一を目論む徳川家康と石田光成が天下分け目の決戦を見せた「関ヶ原の戦い」と、歴史が大きく動く時にはそこに、時代を変えようと強い志を持った人物が登場します。
私たちの母校・京都学園大学のお膝元である亀岡にも、そんな歴史の転換点に大きく関わった人物がいます。それは織田信長が天下統一の野望に奔走した時代、独裁的な振る舞いに反旗を翻した人物、「明智光秀」その人です。みなさんご存知の本能寺の変の際、明智光秀は現在大本(教)の本部が置かれている亀岡城(当時は丹波亀山城と呼ばれていたようです)から織田信長のいる京都に出陣しました。明智光秀は長年、「裏切り者」「卑怯者」の代名詞として天下の謀反人と語られてきましたが、光秀が反旗を翻した原因については定説がなく、歴史研究が進むにつれ、織田信長の独善的な政治の中で、日本の行く末を案じ「一殺多生の剣」を振るった忠臣として少しずつ評価が変わりつつあります。
それを裏付けるように、昨年放送された NHK の歴史スペシャル『その時歴史が動いた』では、改革者としての理念や手法が評価され、織田信長と明智光秀の評価が逆転しています。そんな明智光秀の遺徳を偲び顕彰しようと亀岡では毎年「光秀まつり」を開催しています。この祭りは、亀岡の礎を築いた元亀山城主、明智光秀を顕彰することで亀岡をより多くの人に知ってもらうことを狙いに、ゴールデンウィーク中の 5 月 3 日に開かれています。当日は、明智光秀やその家臣らに扮した騎馬武者らが光秀ゆかりの寺「谷性寺」(別名:ききょう寺)への追善供養を行ったあと、市内各所をパレードして歩くもので毎年数万人の来場者があります。
例年は、騎馬武者に扮することができるのは亀岡市民に限定されていましたが、明智光秀の名誉が回復してきた今年からは、亀岡市内外関係なく誰でも応募することができるようになりました。募集は 3 月 15 日から 4 月 4 日まで。参加者には記念の写真パネルが贈呈されます。詳しい募集内容は第 35 回亀岡光秀まつりのページをご覧ください。
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明智光秀が本能寺へと軍を向けたあの頃は、亀岡はどんなところだったのでしょうか。また、みなさんが現役生を過ごされた頃、亀岡はどんなところだったでしょう? 時代の違いは両者にあれど、そこで、亀岡の地で、人が真剣に生きたことには何の違いもありません。「亀岡光秀まつり」が教えてくれるのは、世論に左右されることのない、ただ一人の人間の営みへの敬意ではないでしょうか。
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